私も高学歴からのサラリーマンという王道を歩んできた上にそれでうまくやってきました。
しかし、その道を逸れて色々経験し、学んだ今、王道的考え方の良し悪しに気づいています。
本稿では、日本社会の王道生き方モデル、高学歴サラリーマンの仕事における考え方を紹介し、そのメリットデメリットを自分の経験に基いて考察していきます。
※ 「◯◯は間違っている」という主張がしたいわけではありません。特徴があって、それが薬になるときもあれば、毒になるときもあるという考えが根底にあります。皮肉、揶揄に読み取られるかもしれませんが、自分ができなかったことに対して、尊敬の念も抱いていますので誤解なきようおねがい申し上げます。
目次
高学歴サラリーマンの人物像
大学や大学院をでたあと、熱意や信念をもつ人たち以外は大体、大企業へ就職します。
銀行、証券、化学メーカー、食品メーカー、IT企業、コンサルティング会社、商社など。
職種は、営業からシステム部門、企画部門、理系なら各種研究職もあります。
また一般職より総合職を志望する人が多く、名前を聞いたことのある企業の新卒採用にはとりあえず申し込むのがよくあるパターンです。
志望動機は大体後付け。企業に採用されるために論理を組み立てます。本音より建前です。過去の合格文を参考に、自分の経験を脚色し、なんかすごい人っぽく見せることもします。
人によっては事実無根を織り交ぜてアクセントをつけてみるなども。
結局、やはり知名度、給料が高い方に吸い寄せられていきます。
別に就職しない選択もあり得るけれど、就職が目的になって、やりたいことが手段の位置づけになる、まさに本末転倒なことになりがちです。
こうした就職活動にもにじみ出ていますが、高学歴サラリーマンには何か特徴があると思っています。(学歴関係なしにサラリーマンに現れるものかもしれないですが)
このような特徴は働きだしてからも顕著になります。
・日曜夜は「明日仕事いきたくねー」と言う。
→でも定時出社。
・「満員電車ヤダー」と言う。
→でもぎゅうぎゅう押して乗り込む。
・「この会社おわってる」といいながら残業三昧。
→効率が悪くても残業代がでるから問題なし。
・飲み会では愚痴。「仕事おもしろくねー」
→でもそのまま。
本稿では、このような人物像を想定し、高学歴サラリーマンの仕事観を考察していきます。
彼らの仕事観
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私が前職(大手IT系企業)で働いているとき、体調が悪い中で不思議に思っていたことが有ります。
「みんな、何のために働いているんだろう」
この問は周囲への問にみえますが、実は自分への問だったことを思います。
当時の私が何のために働いていたか、また、(今でもそうですが)周囲の高学歴が何のために働いているのか、その仕事観を言葉にしてみます。
仕事は与えられるものである
まず、彼らはやるべきことは与えられるという前提で生きているはずです。
なぜなら、生まれてから大学までずっと学業というやるべきことを与えられてきたからです。しかも高学歴は、それをきちんとクリアしてきました。
なぜクリアしてきたかというと、頭が良いとかどうとかいうよりも、そうすることが正しいという認識があったからのように思います。
彼らは、やるべきことがまず存在していて、そのために努力をするのが正しいことだと思っています。
だから行動理由は大体、外側にあります。
学校が、会社が、世間が、◯◯が、、と。
すなわち、自分がやるべきこと(=仕事)は当然、既に存在していて、努力して処理するものだと思っています。
なので、自分でやりたいことをやる、とか、どうにか自分で稼ぐという視点はなく、企業からの給料を高くすることが収入を上げることの唯一にして正しい手段だと思い込んでいます。
このような仕事の存在に対する認識で、働く目的、目標がどこにあるのか、と思う人がいるかと思います。その答えは次のものです。
仕事だから仕事をしている
「仕事はするものだ。だから仕事をする」
ほぼほぼの高学歴サラリーマンがこの認識をもっていると思ってもらって間違いないと思います。
事実、労働は義務です。でも、どんな労働をするかは自由なはずです。それなのに、先述のように仕事は与えられるものという認識のため、誰かに何かをさせられるのが仕事で、それが義務である、と思い込んでいます。
なぜ働くのか。仕事とは何か。
意外にも彼らはこういった哲学めいた問を持っていません。
問をもつと苦しくなるし、こわいからです。敢えて抑えている節さえあります。
何を考えても、行き着く答えは、仕事をすること。であれば、今ある仕事をこなし続けることが正解である。という論理になっているのだと私は考えています。
思考を止めることが逆に役に立つことに気づいて止めている人もいますし、そもそもそんなこと考えていない人もいます。(考えすぎてうつになった人もいます)
忙しい方が偉い
多くの方が不思議と口にする台詞。
「ヒマなの?笑」
この発言の前提には、ヒマは恥で、忙しいことが偉いという概念があります。
もっといえば、他人より偉くあるべきという規範概念も潜んでいます。
おそらく、たくさん仕事を任せられている状況では、自分が求められているように感じられ、自分に価値があると思えるようになっているのではないでしょうか。
そして、そうでなくのんびりしている人を蔑むことで自分を優位な位置づけにしているようです。
忙しくなる理由が、実はタスクの見積もりの甘さだったり、当初の計画性のなさなどだとしても、今忙しい人がどうやら偉いようです。
人より努力しているからかもしれません。非効率であっても時間をかけ努力しているからでしょう。
これらが正しいことである
極めつけがこちらです。
自分は世間的に正しいことを行っているという意識が根付いています。
労働は義務であり、本当はやりたくないけど、仕事だからちゃんと我慢、努力してやるべきことをやっている。
または、給料がほしいため、本当はやりたくないけど、仕事だからちゃんと我慢、努力してやるべきことをやっている。
いずれかの考え方、あるいは両方にて、仕事に従事している人が多いように思います。
どこかの会社員として労働することが、正しい仕事の仕方、もっといえば生き方だと思っているように感じます。
そして、そうじゃない生き方をしている人のことが理解できません。そもそもそういう人が周りにいません。
メリット・デメリット
こうした仕事観で働く人々がいることにも両側面あると考えています。
メリット
本人は貧困になることがなく、社会は安定して回り続けると思います。
デメリット
生きがいを見失い、生産性も創造性も下がってしまう問題はあるのではないかと思います。
まとめ・うつシャカの意見
本稿では敢えて起業家や個人事業主の考え方に触れず、高学歴サラリーマンの特徴だけを書きました。
総じて思うことは、生き方の形骸化が起きていることです。
規範に従うことか、自分が得ることが優先事項になっており、仕事というのはそのために必要なストレスくらいの認識で、可能ならサボりつつ評価を上げて昇給していきたい人が多いです。
というよりも、会社員という働き方の環境上、そういう考え方に行き着くのが合理的であり、いたって自然な結末のように思います。
過去、経済成長が盛んな時代でしたらまだしも、現在の時代では、その考え方で生きていて大丈夫なのでしょうか。
自力で考え、何か別なことを試してみるなど、新たな風を取り入れてみてほしいとは思っています。